春の駐輪場。


「豆だったんだ」


歩きながら、大学の友人Yは言った。
彼の発言はあまりに唐突だったし、僕は少し考え事をしていたせいもあり、聞き違いだと思った。


「失礼?」


「だから、豆だったんだよ。ランニング中に空から降ってきたものがさ…最初は何かと思ったんだけど、そういえば今日は節分だということに気づいたのさ。すごく納得したよ…節分なんだから豆が落ちてきても不思議はない。そうだろ?」とYは言った。


「そうだな。そうかもしれない」


本当のところ、僕はよくわからなかった。
頭に豆が降る?
わからない。
でもたぶんきっとそうなのだろう。
僕はYを心底信用しているのだ。
彼は誰もいない海岸でオカリナを吹こうとして、でもうまく吹けなくて結局大声で歌っちゃうぐらい純粋なのだ。
だから僕はYを信じる。
豆だって何だって受けとめてやればいい。



それから僕達は豆まきについて議論をはじめた。
僕は"鬼掃討説"を提唱し、Yの同意、そして文化人類学的観点からの考察を期待した。
Yはそういった学問に精通している。
しばしの沈黙のあとで、Yは口を開いた。


「…ということはお前は、鬼は常に部屋の隅っこでうずくまっていて、それに豆をぶつけることによって鬼を外へ追い出す、というわけだな?」


「そうだ、だから豆を部屋にまくんじゃないか」


僕がそう言うと、一瞬、Yの表情が険しくなった気がした。


「まず、俺達の間で鬼についての意識が根本的に違う。外に向かって豆をまいて外から来る鬼を撃退し、玄関の天井にも豆をまいて福を呼ぶ」とYは言った。


外に向かって?天井?
何を言っているんだろう、と僕は思った。
鬼は外に居るのに"鬼は外"?僕が間違っているのか?
地域によって多少は方法の相違があるにしても、コンセプトまでも違うということと、4年間も同じ学校にいたのに、お互いの豆まき観についてこれほど理解が浅いということに僕は少なからず衝撃を受けた。
世の中ってよくわからないことだらけだ。
ハイホー。


ちょうど僕達は大学の最寄り駅に着き、その話題は一旦中断された。
少し遅れて、改札口からYの彼女が姿を現した。
Yの彼女(Tという)とYは同じ学科の同級生で、二回生の頃から付き合っている。
このカップルに僕を加えた3人で、ちょくちょく一緒に帰ったり住宅展示場に行って新築の匂いを嗅いだり部屋の取り合いなんかをして遊んでいた。
今日は、そういった大学生特有の温い集まりで飲むことになっているのだ。


「じゃあ行こうか」
Yが先導して、行きつけの居酒屋へと向かう。
僕はTと横並びになり、先程の豆まきの話について意見を聞こうと思い訊いてみた。
彼女は当たり前のように答えた。


「きっと、鬼が外から襲ってくるのよ、節分の日にだけね。だから外に向かって豆を撒くんじゃない」


やれやれだ。
まるで二十四節ごとに討論を繰り返しているような彼らには敵わない。
彼らは百戦錬磨を乗り越えて、ようやく手賀沼ジッタリンジンのような親和性を勝ち得たのだ。
僕みたいなフルーツポンチが敵うわけがない。


飲み会はゆっくり、滞りなく進んだ。
YとTは共によく飲みよく食べたし、僕は例によってビール1杯しか飲まなかったが、十分に楽しんだ。
お会計を済ました僕達はマニュアル通りにカラオケに行き(YとTのデュエットは聴いていて気持ちがいい)、フリードリンクで彼らはまた酒を飲んだ。


2、3曲歌って喉が慣れてきた後に、Yは卒業シーズンということでレミオロメンの3月9日を選択し、番号を送信した。
イントロが流れた時に、僕はふいに泣きそうになった。
彼らと会えるのもあとわずかだと悟ったためだ。
思えば彼らが僕の大学生活をだいぶクレイジーな方向に誘ってくれたのだ、たぶんいい意味で。
それになにより僕は、仲がよく、賢いこのカップルが好きだった。
彼らと一緒だと、まるで春の駐輪場にいるような爽やかさを感じることができた。


だから僕は感謝の意を込めて、次の曲で惜し気もなくエアギターを披露してやった。
ふと顔を上げると、YとTは下を向き、エアな何かしらを掻き鳴らしていた。
3人とも、誰も他人のことを見ていなかった。
ただひたすらに自らの演奏に陶酔していた。
僕は、こいつらはどうしようもないなと思って、すごく嬉しくなった。
ピース。




fin.