笑顔のまんま通せんぼするな。


「来月、中国のミャオ民族に会いに行くよ」



大学時代の友人Yはそう言った。


「そうか、楽しみだな」

と、僕は応えた。





6月の終りに、僕らは約半年振りに下北沢で再会した。
友人Yは相変わらずの陽気さで僕を迎えてくれた。
少し痩せて見えたが、それは最近始めたプール通いのせいらしい。



「よう」

と僕は言った。



「よう」

とYは言った。



僕らは一瞬にして学生時代へ戻った。
Yは変わらぬ笑顔で僕を迎えてくれた。
懐かしさに涙が出そうになった。
そうか、最近忘れていたのはこの感覚だと、僕は感じていた。
そして二人同時に、雑踏の中へ歩きだした。
どこへ行くかも、何をするかも決めずに。




僕らは駅の南口から、東大のキャンパスを抜け、高級住宅の立ち並ぶ駒場にある日本民藝館へと辿り着いた。
この日本民藝館というのは、柳宗悦やバーナードリーチの作品を展示している美術館と博物館の中間のような施設で、古民家を改造したような造りになっている。
民芸ではなく民藝、というところが重要なんだそうだ。



Yと僕はじっくり、その建築の素朴さや来場者の落ち着いた態度や異常な来場者の落ち着いた態度を楽しみながら見て回った。
展示物の評価もし合った。
喜ばしいことに、実用の美という点でYと僕の意見は殆ど合致していた。
だが彼はいつも僕の先を行く思想を持っていた。



「あ、これ…」

ある民芸品を見て、Yは言った。



「俺らの大学の題字を掘った人だよな」



「そうだ、案外落ち着いた字を書くよな」
と僕は言った。



僕らの大学の正門に掲げている表札は、作品に対する鬼気迫る姿勢で有名なあの御大の作品だった。
たぶん全生徒に聞いても正当率三割位の案外知られていない事実だが、Yと僕は知っていた。



Yは言った。
「名前が…ムネカタだ。ムネカタシコウ」



「ムナカタ。それはムナカタだ。ムネカタとは違うよ」
と、僕は間違いを指摘した。



名前を間違えたにも関わらず、Yはそうか、と言っただけだった。
Yは、実はその著名度を知らなかったのだ。
しかし、Yはその御方の作品集を買っていった。
数ある作品の中から知らずに目利きし、感性だけで選んだ。



名前や知識など関係ない、何を見て何を感じるかが重要なのだ、感情を大切にすることが全てなのだと言わんばかりの煌めきをYに見た。
Yはいつだってこの世に生きる喜びを教えてくれるのだ。そういう奴なんだ。



夜が近づいていた。
土曜の夜、下北沢は祭の様相を呈する。
酒精の雰囲気漂う喧騒のなか、Yは言った。



「創造と破壊は表裏一体だよ」



もうすぐ夏が来るなと、僕は思った。







fin.